春風駘蕩
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
126.7cm × 71.2cm
明治17-昭和5年(1884-1930)
千葉市生まれ。本名毅三郎(きさぶろう)。明治34年橋本(はしもと)雅邦(がほう)に入門。はじめ天風(てんぷう)と号す。42年からは、安田靫彦(やすだゆきひこ)・今村紫紅(いまむらしこう)を中心とする若手画家のグループ“紅児会(こうじかい)”の活動に参加。大正3年、再興された日本美術院で院友となったが、まもなく帝展に活躍の場を移した。
明治40年末から42年春までの間、修善寺温泉の旅館の主(あるじ)である相原寛太郎氏(号・沐芳(もくほう))の招きで、修善寺に滞在。その後もしばしば訪れて、同氏と親交を深めた。当地に残る林響作品の多くは、彼がたびたび修善寺を訪れた明治40年代に描かれたものと推定される。
春風駘蕩
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
126.7cm × 71.2cm
弘法大師
1幅
明治41年
軸・絹・着色
146.7cm × 99.1cm
芙蓉秋水
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
112.3cm × 41.3cm
松下睡布袋
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
116.7cm × 50.0cm
東方朔
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
127.1cm × 49.3cm
桐蔭網蝉
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
118.5cm × 50.1cm
蘆花明月
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
118.3cm × 49.7cm
鴛鴦棲隠
1幅
明治40年代
軸・絹・着色
120.2cm × 50.6cm
波に鵜
6曲1隻
明治40年代
屏・紙・着色
86.2cm × 255.2cm
寒山子
1幅
明治末~大正初
軸・絹・着色
34.2cm × 36.6cm