寒山は中国唐末頃の人。確かな伝記は不明だが、既成の仏教界からも詩壇からも逸脱した孤高の隠者として多くの詩を残したことや、天台山国清寺の豊干(ぶかん)禅師のもと、拾得とともに風狂な暮らしを送ったことが伝えられている。“散聖”として禅宗人物画の主題となり、中国の宋・元時代に流行し、日本でも室町時代以降盛んに描かれた。また近世には禅林以外の場でも、その自由な生き方は人々を惹きつけ、人物画の好画題となり、狩野派・琳派・文人画など諸流派によって描かれた。それらは蓬髪で笑ったり、巻物を手にした姿で、箒を持つ拾得とともに描かれることが多く、残飯を入れるための竹筒を手にした姿でも表わされる。また豊干禅師と虎と寒山拾得がともに眠る“四睡図”にも描かれる。本図の寒山も、手に竹筒を持ち不思議な微笑みを浮かべて、風狂の人としての特質がよく表れている。林響はこの作品とほぼ同時期の大正時代初めに、双幅の「寒山捨得図」(大網白里町図書室蔵)も描かれている。
寒山は中国唐末頃の人。確かな伝記は不明だが、既成の仏教界からも詩壇からも逸脱した孤高の隠者として多くの詩を残したことや、天台山国清寺の豊干(ぶかん)禅師のもと、拾得とともに風狂な暮らしを送ったことが伝えられている。“散聖”として禅宗人物画の主題となり、中国の宋・元時代に流行し、日本でも室町時代以降盛んに描かれた。また近世には禅林以外の場でも、その自由な生き方は人々を惹きつけ、人物画の好画題となり、狩野派・琳派・文人画など諸流派によって描かれた。それらは蓬髪で笑ったり、巻物を手にした姿で、箒を持つ拾得とともに描かれることが多く、残飯を入れるための竹筒を手にした姿でも表わされる。また豊干禅師と虎と寒山拾得がともに眠る“四睡図”にも描かれる。本図の寒山も、手に竹筒を持ち不思議な微笑みを浮かべて、風狂の人としての特質がよく表れている。林響はこの作品とほぼ同時期の大正時代初めに、双幅の「寒山捨得図」(大網白里町図書室蔵)も描かれている。