明治41年の国画玉成会出品作。林響が修善寺に滞在していた折の制作である。大師の姿や、左脇に水瓶を配する所などは、高野山御影堂の大師像を原本とする、一連の古画に忠実にのっとっている。しかし、当初は、修禅寺奥の院で18歳の弘法大師が悪魔を岩窟に封じ込めたという話に取材し、実景の中に修行する大師を配すべく構想されたことが、下絵によってわかる。本図では、岩窟・樹木などの周辺描写を捨て、仏画風の円光のみを残し、大師の姿を大きく描くことによって威容をつたえている。
明治41年の国画玉成会出品作。林響が修善寺に滞在していた折の制作である。大師の姿や、左脇に水瓶を配する所などは、高野山御影堂の大師像を原本とする、一連の古画に忠実にのっとっている。しかし、当初は、修禅寺奥の院で18歳の弘法大師が悪魔を岩窟に封じ込めたという話に取材し、実景の中に修行する大師を配すべく構想されたことが、下絵によってわかる。本図では、岩窟・樹木などの周辺描写を捨て、仏画風の円光のみを残し、大師の姿を大きく描くことによって威容をつたえている。