紅白梅
6曲1双
明治末~大正初
屏・紙・着色
各 98.5cm × 233.6cm
明治21-昭和58年(1888-1983)
東京浅草生まれ。日本舞踊の若柳流創立者である若柳寿童(わかやぎじゅどう)の長男。本名若林市太郎(わかばやしいちたろう)。松本楓湖(まつもとふうこ)に入門して絵を学び、紅児会(こうじかい)の活動にも参加。大正2年の紅児会解散後は安田靫彦(やすだゆきひこ)のもとで制作に励み、昭和の初めには中国へ留学。同地で描いた作品が、後に早稲田大学演劇博物館に収められた。
修善寺へは、紅児会で活動していた明治末から大正初めにかけて訪れ、他の仲間とともに作品を残している。
紅白梅
6曲1双
明治末~大正初
屏・紙・着色
各 98.5cm × 233.6cm