手向
1幅
大正2年
軸・絹・着色
115.9cm × 41.4cm
明治27-昭和10年(1894-1935)
東京浅草生まれ。旧姓蒔田(まきた)、本名栄一。松本楓湖(まつもとふうこ)に学ぶ。はじめ禾湖(かこ)、次いで浩然(こうねん)、大正3年に母方の速水姓を継いで御舟と改号。明治44年に紅児会へ入会。大正3年からは再興日本美術院で活躍。今村(いまむら)紫紅(しこう)らと赤曜会(せきようかい)を結成し、新時代に相応しい日本画の開拓に努めた。技術・精神性ともに高い画風で天才と謳われたが40歳で急逝。昭和52年「炎舞(えんぶ)」「名樹(めいじゅ)散椿(さんちん)」が重要文化財に指定された。
沐芳氏とは紅児会時代に親交を得て、昭和5年の渡欧(ローマ日本美術展参加)の際は、沐芳氏経営の旅館で壮行会が行われた。
手向
1幅
大正2年
軸・絹・着色
115.9cm × 41.4cm