秋郊帰牧
1幅
明治42年
軸・絹・着色
116.0cm × 50.5cm
明治7-明治44年(1874-1911)
長野県飯田市生まれ。本名三男治(みおじ)。東京美術学校卒。明治31年、横山大観(よこやまたいかん)らとともに日本美術院の創設に参加。岡倉天心(おかくらてんしん)の指導のもと、近代にふさわしい新たな日本画の創造に努めた。文展(ぶんてん)(文部省美術展覧会)に「落葉(おちば)」「黒き猫」(共に重要文化財、永青文庫(えいせいぶんこ)所蔵)などの名作を発表したが、37歳の誕生日を迎える直前に亡くなった。
修善寺を訪れたことはなかったようだが、修善寺温泉で静養中の安田靫彦(やすだゆきひこ)を仲立ちとして、同温泉の旅館の主(あるじ)、相原寛太郎氏(号・沐芳(もくほう))に「秋郊帰牧(しゅうこうきぼく)」(伊豆市所蔵)を贈っている。
秋郊帰牧
1幅
明治42年
軸・絹・着色
116.0cm × 50.5cm