大観は明治43年6月から7月にかけて、寺崎広業(てらさきこうぎょう)・山岡米華(やまおかべいか)と共に中国を旅行した。その成果として、同年秋の第4回文展に出品された「楚水(そすい)の巻」、遅れて暮れに完成された「燕山(えんざん)の巻」など、中国を題材とした作品が数多く生まれたが、本図もまたその一例と言えよう。 小さな画面ではあるが、巧みな構図と水墨表現により、河岸の集落や遠くの連山を含めた揚子江(ようすこう)下流の風景が広々と描き出されている。
大観は明治43年6月から7月にかけて、寺崎広業(てらさきこうぎょう)・山岡米華(やまおかべいか)と共に中国を旅行した。その成果として、同年秋の第4回文展に出品された「楚水(そすい)の巻」、遅れて暮れに完成された「燕山(えんざん)の巻」など、中国を題材とした作品が数多く生まれたが、本図もまたその一例と言えよう。
小さな画面ではあるが、巧みな構図と水墨表現により、河岸の集落や遠くの連山を含めた揚子江(ようすこう)下流の風景が広々と描き出されている。