明治44年第14回紅児会展の出品作と推定され、沼津在住時代に描かれたものと思われる。既述のとおり、靫彦の修善寺・沼津時代は専ら静養にあてられていたが、健康が回復した段階で、徐々に本図のような作品を手がけるようにもなっていた。淡い色彩による繊細な画風と、写実的で生身を感じさせるような面貌描写に、この時期の作品の特徴があり、以下No.33~38の作品も同じ特徴を持つ作例といえる。
明治44年第14回紅児会展の出品作と推定され、沼津在住時代に描かれたものと思われる。既述のとおり、靫彦の修善寺・沼津時代は専ら静養にあてられていたが、健康が回復した段階で、徐々に本図のような作品を手がけるようにもなっていた。淡い色彩による繊細な画風と、写実的で生身を感じさせるような面貌描写に、この時期の作品の特徴があり、以下No.33~38の作品も同じ特徴を持つ作例といえる。