画中に記された年紀により昭和5年1月に描かれたものとわかる作品で、大観らの渡欧壮行会が行われた新井旅館で描かれたと考えられる。富士を描く奔放な筆使いには、覇気のこもった息づかいが感じられ、そこには渡欧を前にした画家の気概を読み取ることもできるかもしれない。大観は、欧州から帰国した1ヶ月後に再び沐芳の元を訪れ、本図の箱書を行なった。箱の蓋裏に記された「山陽荘」とは、昭和3年に大観のために用意されたその宿の離れのことをいう。
画中に記された年紀により昭和5年1月に描かれたものとわかる作品で、大観らの渡欧壮行会が行われた新井旅館で描かれたと考えられる。富士を描く奔放な筆使いには、覇気のこもった息づかいが感じられ、そこには渡欧を前にした画家の気概を読み取ることもできるかもしれない。大観は、欧州から帰国した1ヶ月後に再び沐芳の元を訪れ、本図の箱書を行なった。箱の蓋裏に記された「山陽荘」とは、昭和3年に大観のために用意されたその宿の離れのことをいう。