江戸中期ころ大坂で流行った芝居「奴の小萬」に取材した作品。芝居の内容は、奴髷に結いあげて尺八を手にした“奴の小萬”と呼ばれる女?客が、弱きを助け強きをくじくというもの。モデルは、江戸中期の大坂に実在した“雪”という名の女性である。雪は、学芸・武芸にすぐれ、勝手気ままな暮らしぶりで生涯独身を通し、奇女として名をはせたという。実母の名が“萬”といったことから、萬の子供の意味で、芝居では“小萬”と名づけられた。その特異な髪型は小萬島田と呼ばれ、寛延年間(1748-1751)頃に流行した。 本図は若衆姿の小萬。奴島田、裾書の小袖に芭蕉の模様、帯の後ろ結びなど、江戸中期(18世紀)の風俗を取り入れて描かれており、長江が浮世絵などを通して近世風俗をよく学んでいたことが窺える。署名は長江、印章は勝仙の名であることから、改号して間もないころに制作されたものと思われ、明治43年の第11回紅児会展に出品された「奴の小萬」に擬せられる。
江戸中期ころ大坂で流行った芝居「奴の小萬」に取材した作品。芝居の内容は、奴髷に結いあげて尺八を手にした“奴の小萬”と呼ばれる女?客が、弱きを助け強きをくじくというもの。モデルは、江戸中期の大坂に実在した“雪”という名の女性である。雪は、学芸・武芸にすぐれ、勝手気ままな暮らしぶりで生涯独身を通し、奇女として名をはせたという。実母の名が“萬”といったことから、萬の子供の意味で、芝居では“小萬”と名づけられた。その特異な髪型は小萬島田と呼ばれ、寛延年間(1748-1751)頃に流行した。
本図は若衆姿の小萬。奴島田、裾書の小袖に芭蕉の模様、帯の後ろ結びなど、江戸中期(18世紀)の風俗を取り入れて描かれており、長江が浮世絵などを通して近世風俗をよく学んでいたことが窺える。署名は長江、印章は勝仙の名であることから、改号して間もないころに制作されたものと思われ、明治43年の第11回紅児会展に出品された「奴の小萬」に擬せられる。