古事記に取材した作品。藤でつくった衣服をつけ、同じく藤でできた弓矢を携えた春山霞壮夫は、伊豆志袁登売(いずしおとめ)を訪れて首尾よく妻にし、兄の秋山下氷壯夫(あきやまのしたびおとこ)との賭けに勝つが、兄は弟を妬んで約束の品物を渡さなかったので、兄弟の母神は兄の不誠実を怒り、兄に病苦をもたらして約束を果たさせたという神話である。本図は、春山霞男が伊豆志袁登売の家に至るや、忽ちその衣服などに一斉に藤の花が咲いたという場面を描いたもの。青邨は明治36年から40年にかけて「小碓(おうす)」「大久米命(おおくめのみこと)」をはじめ古事記に取材した作品を描いている。本図もそれらと人物、装束の描写が近いことから、明治40年代初頭の作品と考えられる。梶田半古のもと、有職故実を熱心に研究していた時期であり、装身具や武具の正確な描写にその成果が見てとれる。また、華やかな画面、骨太で力強い人物表現には後年の青邨画の特徴が既に現れている。
古事記に取材した作品。藤でつくった衣服をつけ、同じく藤でできた弓矢を携えた春山霞壮夫は、伊豆志袁登売(いずしおとめ)を訪れて首尾よく妻にし、兄の秋山下氷壯夫(あきやまのしたびおとこ)との賭けに勝つが、兄は弟を妬んで約束の品物を渡さなかったので、兄弟の母神は兄の不誠実を怒り、兄に病苦をもたらして約束を果たさせたという神話である。本図は、春山霞男が伊豆志袁登売の家に至るや、忽ちその衣服などに一斉に藤の花が咲いたという場面を描いたもの。青邨は明治36年から40年にかけて「小碓(おうす)」「大久米命(おおくめのみこと)」をはじめ古事記に取材した作品を描いている。本図もそれらと人物、装束の描写が近いことから、明治40年代初頭の作品と考えられる。梶田半古のもと、有職故実を熱心に研究していた時期であり、装身具や武具の正確な描写にその成果が見てとれる。また、華やかな画面、骨太で力強い人物表現には後年の青邨画の特徴が既に現れている。