本図の画題は、達磨が熊耳(ゆうじ)山に葬られて後、魏の宗雲という者が西域への使節を果たして帰る途中、履物の片方を手に西へ去る達磨の姿を見たという伝説に基づく。右手を懐に左手に履物を持った達磨が、変幻極まりないモノクロームの世界にたたずんでいる。大和絵から出発した靫彦であるが、このように墨を効果的に用いた作品も少なくない。ただしその場合、純粋な水墨画としてではなく、他の色彩と併せて用いることが多いようで、本図でも達磨の姿には淡彩が施され、装身具や履物には金泥も用いられている。
本図の画題は、達磨が熊耳(ゆうじ)山に葬られて後、魏の宗雲という者が西域への使節を果たして帰る途中、履物の片方を手に西へ去る達磨の姿を見たという伝説に基づく。右手を懐に左手に履物を持った達磨が、変幻極まりないモノクロームの世界にたたずんでいる。大和絵から出発した靫彦であるが、このように墨を効果的に用いた作品も少なくない。ただしその場合、純粋な水墨画としてではなく、他の色彩と併せて用いることが多いようで、本図でも達磨の姿には淡彩が施され、装身具や履物には金泥も用いられている。