「不破」は、歌舞伎十八番の1つである。物語は、名古屋山三郎と不破伴左衛門が、遊女葛城をめぐり恋のさやあてをするというもので、さまざまな脚色による一連の狂言を“不破名古屋物”という。延宝8年(1680)に初演され、元禄10年(1697)に“鞘当”の趣向が加わった。すなわち、遊里吉原で出会った伴左衛門と山三郎は、行き違いざまに鞘を打ち当てたことから切り合いになるが、仲裁でいったんは納まるという場面で、いらい不破名古屋物の見せ場となった。 本図は、鞘当の場面の伴左衛門。雲に稲妻の模様の衣装は、荷翆の句「稲妻のはじまり見たり不破の関」にヒントを得たもので、伴左衛門の約束の衣装である。 長江は、明治44年に歌舞伎役者の中村吉右衛門から衣装を借りて写生をするなど、本格的に風俗研究に取り組んでいる。また、本図の署名にみられる「日本絵師」の肩書は、浮世絵の初期、すなわち元禄頃の浮世絵師が自らの署名の上に冠し、大和絵の伝統の継承者であることを表明したもので、長江もこれに倣ったのであろう。風俗画に道を見出した長江の決意と自負が窺われる署名である。
「不破」は、歌舞伎十八番の1つである。物語は、名古屋山三郎と不破伴左衛門が、遊女葛城をめぐり恋のさやあてをするというもので、さまざまな脚色による一連の狂言を“不破名古屋物”という。延宝8年(1680)に初演され、元禄10年(1697)に“鞘当”の趣向が加わった。すなわち、遊里吉原で出会った伴左衛門と山三郎は、行き違いざまに鞘を打ち当てたことから切り合いになるが、仲裁でいったんは納まるという場面で、いらい不破名古屋物の見せ場となった。
本図は、鞘当の場面の伴左衛門。雲に稲妻の模様の衣装は、荷翆の句「稲妻のはじまり見たり不破の関」にヒントを得たもので、伴左衛門の約束の衣装である。
長江は、明治44年に歌舞伎役者の中村吉右衛門から衣装を借りて写生をするなど、本格的に風俗研究に取り組んでいる。また、本図の署名にみられる「日本絵師」の肩書は、浮世絵の初期、すなわち元禄頃の浮世絵師が自らの署名の上に冠し、大和絵の伝統の継承者であることを表明したもので、長江もこれに倣ったのであろう。風俗画に道を見出した長江の決意と自負が窺われる署名である。