南北朝時代(14世紀)の絵巻物「後三年合戦絵巻」をもとにした作品。「後三年合戦絵巻」は、平安中期の武将源義家(1039-1106)が、奥州清原氏の内紛に介入して戦乱を鎮め、一帯を平定したことから、奥州での源氏の地盤を固めるもとになった後三年合戦(1083-1087)を描いたもの。 本画帖では、絵巻の中から選んだ6つの場面を、青邨が独自にアレンジして描いた6図が収められている。各図の右側に詞書のための料紙が付されるが、詞書は記されていない。 各画面に捺された印が大正3年「湯治場」、同5年「京名所八題」と同印であることや、明治期の画風と異なり青邨の独自性が強く窺われることなどから、制作の時期は大正期と思われる。凄惨な場面にもユーモアがあり、簡潔にして要を得た画面構成は、青邨ならではの世界である。ここでは6図の配列が物語の展開と前後するが、以下、画帖の順に従い場面を説明しよう。 <絵巻上巻第4段> 義家の軍は金沢柵に到着する。草むらを行く義家軍は、雁行の乱れで敵の伏兵を知り、これを掃滅する。図は、雁行の下、草むらを進む兵士。 <上巻2第段> 義家は、弟義光が兄の苦戦を聞いて都から援軍にかけつけたことを喜びもてなす。図は、丸高杯を前にした弟義光と、もてなしの料理をつくる兵士。 <中巻第1段> 義家軍は金沢柵を包囲して兵糧攻めを始める。敵の大将武衡はつれづれを慰めるため、双方から勇士を出して一騎打ちさせようと義家に申し込む。武衡側からは亀次、義家側からは鬼武が選ばれ、両軍の見守るなか、鬼武、亀次の両者それぞれに薙刀をかまえて対峙する。闘いの結果、亀次が倒れる。図は、楯を背に薙刀をかまえる亀次。 <下巻第4段> 懸小次郎次任は、城中からの逃亡者をことごとく捕え、大将家衡の首を義家にさしだす。義家は喜び、紅の衣と鞍を置いた馬を次任に授ける。次任はさらに、武衡、家衡の郎等の中で主な者48人の首を首棚に並べ、義家に進覧する。図は、名札を付けた首を掛け並べた首棚の前で、薙刀をかまえる次任。 <下巻第2段> 兵糧が効を奏して城が落ち、火が放たれて地獄のようなありさまの中、義家の軍兵は殺戮のかぎりを尽くす。池の中に隠れていた武衡もみつけられて生捕られる。図は、軍兵たちに捕らえられ、池から引き上げられる武衡。 <下巻第4段> 場面は(4)に同じ。図は、家衡の首を掲げた郎等を従え、紅の衣を拝領する次任。
南北朝時代(14世紀)の絵巻物「後三年合戦絵巻」をもとにした作品。「後三年合戦絵巻」は、平安中期の武将源義家(1039-1106)が、奥州清原氏の内紛に介入して戦乱を鎮め、一帯を平定したことから、奥州での源氏の地盤を固めるもとになった後三年合戦(1083-1087)を描いたもの。
本画帖では、絵巻の中から選んだ6つの場面を、青邨が独自にアレンジして描いた6図が収められている。各図の右側に詞書のための料紙が付されるが、詞書は記されていない。
各画面に捺された印が大正3年「湯治場」、同5年「京名所八題」と同印であることや、明治期の画風と異なり青邨の独自性が強く窺われることなどから、制作の時期は大正期と思われる。凄惨な場面にもユーモアがあり、簡潔にして要を得た画面構成は、青邨ならではの世界である。ここでは6図の配列が物語の展開と前後するが、以下、画帖の順に従い場面を説明しよう。
<絵巻上巻第4段> 義家の軍は金沢柵に到着する。草むらを行く義家軍は、雁行の乱れで敵の伏兵を知り、これを掃滅する。図は、雁行の下、草むらを進む兵士。
<上巻2第段> 義家は、弟義光が兄の苦戦を聞いて都から援軍にかけつけたことを喜びもてなす。図は、丸高杯を前にした弟義光と、もてなしの料理をつくる兵士。
<中巻第1段> 義家軍は金沢柵を包囲して兵糧攻めを始める。敵の大将武衡はつれづれを慰めるため、双方から勇士を出して一騎打ちさせようと義家に申し込む。武衡側からは亀次、義家側からは鬼武が選ばれ、両軍の見守るなか、鬼武、亀次の両者それぞれに薙刀をかまえて対峙する。闘いの結果、亀次が倒れる。図は、楯を背に薙刀をかまえる亀次。
<下巻第4段> 懸小次郎次任は、城中からの逃亡者をことごとく捕え、大将家衡の首を義家にさしだす。義家は喜び、紅の衣と鞍を置いた馬を次任に授ける。次任はさらに、武衡、家衡の郎等の中で主な者48人の首を首棚に並べ、義家に進覧する。図は、名札を付けた首を掛け並べた首棚の前で、薙刀をかまえる次任。
<下巻第2段> 兵糧が効を奏して城が落ち、火が放たれて地獄のようなありさまの中、義家の軍兵は殺戮のかぎりを尽くす。池の中に隠れていた武衡もみつけられて生捕られる。図は、軍兵たちに捕らえられ、池から引き上げられる武衡。
<下巻第4段> 場面は(4)に同じ。図は、家衡の首を掲げた郎等を従え、紅の衣を拝領する次任。