加藤清正(1562-1611)は安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。豊臣秀吉と同じ村の出身で、母親がいとこ同士でもあったため、幼い頃から秀吉に仕え武名を馳せた。さまざまな逸話の持ち主でもあるが、本図は清正といつもそばに居たといわれる猿にまつわる話を描いたもの。常に『論語』を読み書物に朱墨を入れる清正の姿を見ていた猿が、ある時それに倣って『論語』に朱墨を書き散らしてしまったところ、清正はその猿を「聖人の道に志のある者」と笑って叱らなかったという。靫彦は明治43年、同じ主題の「清正と猿」という作品も描いている
加藤清正(1562-1611)は安土桃山時代から江戸初期にかけての武将。豊臣秀吉と同じ村の出身で、母親がいとこ同士でもあったため、幼い頃から秀吉に仕え武名を馳せた。さまざまな逸話の持ち主でもあるが、本図は清正といつもそばに居たといわれる猿にまつわる話を描いたもの。常に『論語』を読み書物に朱墨を入れる清正の姿を見ていた猿が、ある時それに倣って『論語』に朱墨を書き散らしてしまったところ、清正はその猿を「聖人の道に志のある者」と笑って叱らなかったという。靫彦は明治43年、同じ主題の「清正と猿」という作品も描いている