修善寺・沼津での療養生活中に描かれたと思われる小品。No.45~53も同様の作品と考えられる。本図は近世初期の歴史風俗を取り上げた作品だが、胸に十字架を下げた宣教師のそばに立つ武将は、“独眼流”と呼ばれ、ローマ教皇に遣欧使節を派遣したことでも知られる仙台藩主の伊達政宗(1567-1636)ではなかろうか。画面の武士は左向きの横顔で表わされているが、それは正宗の失明した右眼を隠すための工夫のようにも思われる。尚、明治43年の第12回紅児会展には今村紫紅が「伊達政宗」を出品している。
修善寺・沼津での療養生活中に描かれたと思われる小品。No.45~53も同様の作品と考えられる。本図は近世初期の歴史風俗を取り上げた作品だが、胸に十字架を下げた宣教師のそばに立つ武将は、“独眼流”と呼ばれ、ローマ教皇に遣欧使節を派遣したことでも知られる仙台藩主の伊達政宗(1567-1636)ではなかろうか。画面の武士は左向きの横顔で表わされているが、それは正宗の失明した右眼を隠すための工夫のようにも思われる。尚、明治43年の第12回紅児会展には今村紫紅が「伊達政宗」を出品している。